2006年01月

パズルの要素/石持浅海『扉は閉ざされたまま』

そうやって前日、知力を測るといってクイズをやりだした前には、映画の話をしていた。
Hくんが「『CUBE』が好きだ」といいだしたのがコトの発端なのかな。
僕はこの映画が全然、好きではないのだが。Hくんは、こういったゲーム的な要素の濃いものが映画に限らず好きなのだ、みたいなことをいった。
「じゃあ、ミステリーとか読む?」
「いやー、読まないですね」

そのとき僕が読んでいたのが『扉は閉ざされたまま/石持浅海』、05年度の「このミス」で『容疑者xの献身』に続き2位にランクインした作品。
大学の友人たちが1泊の同窓会を企画し、ひさびさに集まった。場所は仲間の1人の兄が持つという高級邸宅を改装したペンション。主人公はそこで後輩の殺害を計画(この動機も明かされないまま物語は進む)、そして実行。部屋を密室にし、他の仲間たちの元へ戻る。
その後輩が出てこないことを不審に思い出す仲間たち、それをいかに不自然でないように不審感を拭い去り、殺人の発覚を遅らせるか。いかに自分が目立つことなく、状況をコントロールするか。

主人公のその男は頭がキレる。うまくいく筈だ。ただ問題は1人だけ、友人の妹を除いては、…。彼女もまた、男と同じだけの観察力と洞察をもっている(という設定)。

基本的にはこの2人のやりとりが主軸なのだが。
設定も着想も面白かったが、物足りなさが残った。もっと面白く出来た筈だ、という思いが読後ではなく読んでいる途中からずっとあった。出てくる人物もみな魅力的なのだが、「友人が死んでいるかどうか、見て確かめる方法がない(扉を開けることが出来ない)」という仕掛けがやや脆弱だったのかも。これは物書きとしての力の問題だと思うが。
『ダイハード』という優れたアクション映画があって、僕のアクション映画キライを2時間で治してしまった作品なんだけど、何がスゴいって細部の仕掛けがスゴい。主人公を窮地へ追い込み物語を複層化させていく、凝りに凝ったエピソードが次から次へと出てくる。
『扉は閉ざされたまま』は、その凝り具合が、もう1ランク上に行けるだろう? 行ってほしい、という期待にも似た不満足感に繋がってしまった。
惜しい。繰り返すが、僕は主人公の(つまりは殺人犯である男も)、それと対峙するヒロインも魅力的だと思ったし、その2人がやりとりを交わす科白もスリリングだと思ったのだが、その彼らが検討する仕掛け自体がなー、…という印象。

僕がミステリーを好むのは、論理の歯車がピタリと合う、その瞬間にカタルシスを感じるからだ。
そういう意味でも、やはりクイーン(もう聞かされ飽きた?)。
先のHくんに何か勧めたいな、と思い、やはり『災厄の町』だろうか、と考え、いや、彼ならきっと『ギリシャ棺の秘密』の方がいいだろう、と思った。
そういえばこれも2人の天才の対決、だ。
かなり長くて、かつ文章もまだ硬い。けれど、前にも書いた僕の好きな「パーコレーターの推理」が出てくる作品なので、まあミステリー読まないなんていわないで、ぜひ一読してくだされ。

   ×     ×    ×
リサとユミの2人のうち、1人だけが真実を述べている。
リサ「ウソつきだけが貝殻をもっています」
ユミ「ウソつきだけが貝殻をもっていません」
さて、リサとユミは、それぞれ貝殻をもっている? もっていない?


といった論理パズルが好きだ。おー、国語的だよなー、と思っていたら、これって算数の問題なんだよね。昨年の四天王寺でも算数の問題として出題されていた。そうなのかー。

昨日、生徒との空き時間の会話から、ちょっとこういった論理パズルの話になって、webであれこれ調べてたんだけれど「囚人のジレンマ」についてのサイトがめっちゃ多くでちょっと驚いた。「ダラー・オークション」って知ってる? 僕は知らなかったんだけど。

1人しか正解できない問題

1.土星の輪は細い帯状の集合体で無数の隙間がある。そのいちばん広い隙間はなんという名前か。
2.道元の生まれた年はいつか。
3.木星には4つの衛星がある。イオ、エウロパ、ガニメデ、さてもうひとつはなんという名前か。
4.「鏡子の部屋」の作者は誰か。


教員仲間で飲みにいった。
仕事の話なんかももちろんするのだが、途中で、ちょっとコアなクイズ大会になった。そこで出題されたのが上のような問題。解答、わかる?
酔いと同時に問題のコアさも増していき、しまいにHくんがこんなことをいいだした。
「1人しか正解できない問題を出すっていうのはどうですか」
つまり、2人以上の正解が出ても、誰も正解が出なくてもアウト。1人だけが正解する問題を考えろ、というのだ。
さて、そこで僕がすかさず出した問題とは?
(即座にそれが口から出たとき、オレ、まだ大丈夫だな、とは思った。頭のキレが。少し考えたら誰でも気づく)

僕は、
「Hくんのお父さんの名前は?」といったのだ。
さらにクイズは続く。
5.双子座の双子はそれぞれなんという名前か
解答は↓
1.カッシーニ間隙
2.1200年
3.カリスト
4.三島由紀夫
5.カストルとポルックス


そこでちょっと口惜しい思いをさせられた。
その出題はこれ、
6.冥王星の外側をまわる10番目の惑星が発見されたが、それは何という名前か。
…。
これ、以前に日記で書いてるんだよな。なのに答えが出なかった。ダメじゃん。
解答はコチラ(3月17日)を参照のこと。
負けずキライはこの店に飲みに入る前にも証明されずみだが、自分が知っていることを答えられない、まして思いいれたっぷりに日記で書いてもいるんだから、口惜しいったらない。
まあ、この出題をした先生にしたって、1の問題に答えられなかったんだから、いい気味だといえばいい気味なんだが。知ってた筈だし。

書くしかないな

結局、いい小説を書くしかないよな、と最近また強く思っている。
ひどく当たり前のことなんだけど。適当にこなすことが、まあ、それなりには出来るので、戒めておかないと。これは小説に限ったことではないけれど。人間って油断したり慢心したりする生き物だものな。すぐに習慣化してしまい、惰性を見出すんだから。

「小説をとったら何も残らない」
という科白は、小説のことを一義的に考え、逆説的に、それになによりも自信があるということ。本当にその通りだ。
いい小説を書かねば、と思ったのには、先日東野圭吾の『容疑者xの献身』を読み終え、うちのめされたということもある。小説の力を思い知らされた、とでもいうか。なんかぼーっとしちゃって次に何か読もうという気が起こらない(…といいながら、昨日から『扉は閉ざされたまま/石持浅海』を読み出してるんだけど)。スゴいよなー、スゴいー、と思っている。
(どうでもいい話だけど、最近、意図せず誰かの文体を真似しようとしてるな。ヤバいぞ)
やっぱり、スゴい小説って圧倒的な魅力がある。
切れ味、の鋭い小説を書きたい。

まあ、そんなことを考えながら、月末のお約束である「HAMMER RECORDS」の小説、執筆中。
今回も例によって例のごとく、長くなりそうな気配が濃厚。

ガジェットを多く詰め込んだ小説を書きたい、と思って1月の半ば頃から組み立て始めた。
CDのタイトルでもいいし、服のブランドでもいいし、お酒や画家の名前でもいいし。
かつて、小説書きの集まるところで、「固有名詞が多すぎる、それも作者のコアな趣味で集められたものばかり。無意味な自己喧伝だ」といったような批判をされた。
いまになってみると、まあ確かにその通りです、と首肯する部分がなくもない。
もちろん、それだけでもない。
時代性や、その主人公たちの住んでいる世界を明確にするためにも、固有名詞の使用
は有効だと思う。ただそれには選択が必要だろうし、作者の趣味をそのままスルーさせても上手くはいかないだろうと思う。

プロットを一度組み立て、今回は書き出すまでに間が空いてしまったので(はやい話が、筋書きを考えてから仕事が忙しくなって、書き出すまでに外的要因によりスパンが開いた)、もう一度、考えなおす。無駄な部分や設定を削る。盛り込もうと考えていたガジェットをほぼ1つだけに絞る。
前回の「HAMMER RECORDS」がかなり暗い話になったので、今回は意識してそうならないようにしている。性格だろうか、まあ、とびぬけて明るいはちゃめちゃな作品にはなりそうにないが。

favorite music and music

理由あって何枚かのCDを探している。
けれども見つからない。前に、イレイジャーの『I say,I say.I say』が廃盤になってる、なんでー、という記事を書いたけれども、そしてそれを誰かにプレゼントしたいと願ってももうどうにもままならない、ということをこのblogに挙げたけれども。
なんか事態はもっと深刻でダークな様相。
今日、というかここ数日探しているのは『behaviour/ペットショップボーイズ』、リリースは90年。邦盤は東芝EMI、検索をかければすぐに判るのだけれども、EMIはPSBの公式サイトも閉じている。もう日本では商品価値がない、という判断なのか。なのかー、…。

もちろん、僕の好みがもういくらか古いのだということは認めるが。
前にも書いたとおり、僕にとっての至上のアルバム『Violator/DEPECHE MODE』もリリースは90年、ニューオーダーの『LOW-LIFE』にいたっては85年。これは最近のニューオーダー・リスペクトブームで再発されたらしく、ニューオーダーのアルバムは結構どれも入手は容易みたいなんだけど。前述の『I say,I say.I say/イレイジャー』でさえ94年。ああ、確かにもう僕もオールドファンだな。
新しい音楽が聴けなくなっているのではないかという危惧はある。
THE KILLERSにしたってよかったけれども、じゃあずっと聴き続けるかというと、どうもねぇ、…。ヴィジュアルや立ち居振る舞いやもろもろを含めて、アーティストに強い魅力を感じられなくなっている、いやもっといえば、どれもこれもどこかで見たような何か別のバンドのパロディ、模倣、なんかのコピーにしか見えない、絶対にそのアーティストでなければならないという必然みたいなもの、絶対的な魅力のようなものが感じられなくなっている、これは事実だ。
アンテナの精度がおちている、それほど身を捧げる覚悟も出来なくなっている。
そのアーティストのそのアルバムによって、けっして大仰ではなく、僕の哲学みたいなものが変えられてしまう、そういうことは残念なことだがもうないだろう。それだけ哲学にフレキシビリティみたいなものが失われてしまっているんだろうな。でも、ね。

音楽によって何かを変えられたいと思う。
音楽によって何かが変わったことを僕はとても貴重な体験だと思っているし、変えられてよかったとも思っている。
中学生の頃のことなんて昔の話になっちゃうけれども、そのメロディや歌詞やを耳にしたときの衝撃で、何かが変わってしまった、その変わってしまった自分が好きだ。
この人生において、と僕はときどき考えるのだけれども(笑わないで、本当にそうなので)僕はdepeche modeをこよなく愛する性格を獲得してしまった。また別の、次の人生では、レゲエやhip-hopなんかも聴くかもしれない、いまは毛嫌いしている、そういう人生だから仕方がない。いまのこの人生や、いまのこの好みがキライではない。

自分がとても好きだった、そしていまも好きなアルバムを誰かに渡したいと考えるのは、別にその誰かを強引に自分のように変えたいというような、傲慢な理由からではない。
同じ経験をしてもらいたいと願っているのでもない。そうだな、強いていうなら僕がこれで変わったということを知ってほしい、そういう気持ちからなのかも。

夜、明かりもつけない部屋でdepeche modeの『waiting for the night』を聴き、ときどきは歩きながら『crystal/New Order』を口ずさみ、気分や機嫌がよければたいていはPSBの『Being boring』を鼻歌で唄う。
キミがそうして同じように、出勤前、駅まで自転車を漕ぎながら『Being boring』を唄っているところを想像するのは楽しい。仕事に疲れて夜遅くに帰ってきたひとりの部屋で、キミが僕の好きな曲をCDのトレイに乗せ、ぼんやり聴くともなく聴いているところなんかを想像すると、ひどく近い気分になれる。
自己満足だといわれればそれは否定しないし、自己愛が強すぎると指摘されればそれも否定はしないけれども。

彼らのことが心配だった/東野圭吾『容疑者xの献身』

読み始めて数ページで主要人物の背後にひそむものが伝わってくる。抱えている暗部や、そのせつなさなんかが。タイトルの「献身」が浮いていない。
行動はとても突飛なのだが、説得力が十分にあって、その小説力には圧倒された。
小説力? 会話やちょっとした動作や風景描写に託した心情のさりげない吐露など、あらゆる手段(それは当たり前だがすべて“描写”という名のもとにおかれて)で、登場人物たちのいるその世界をこちらへ、無理なく伝えてくる力。
隙は、あるのかも知れないが、見つける気になれない。
ただただ、読んでいる間、彼らがいったいどうなるのかずっと気になっていた
最後に訪れるだろう悲劇的な結末が、はたしていったいどんな形をとっているのか、と。
普通はもっと突き放して客観的に読めるのに。

登場する誰もにちゃんと理由があり、その行動に納得がいき、些細な人物の気持ちにまで同意を覚えることが出来た。それを至福だと思う。
会議帰りの地下鉄のなかで読み終わり、めちゃめちゃ泣いた。あやしいよな、でもしょうがない。
東野圭吾『容疑者xの献身』。
なにより、ちゃんとミステリーとして本格の骨子を捨てていない。手がかりも構造のヒントもとてもフェアにばらまかれている。
2人の天才の対決、といった感じで直木賞を受賞した際の記事には書かれているが、対決というよりは2人の天才の配慮、という方が適当かも。
いま述べたようにミステリーとして真正面から書かれているので、あまりいろんなコメントに目を通さない方がいい。さる選考委員は新聞のコメントで、とても重要な点を(ぼかしながらだったけど)述べちゃってたしな。
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