この数ヶ月のblogを読み返していると、結構限られた出来事を中心としてしか自分が考えていないことが判る。ひとつはもちろん仕事であり、もうひとつは、…書かないけど、まあそんなこと。
仕事について書いていることを読み返すと、当たり前なんだけど、その多くが整理のために書かれていることに気づいて、面白い。
普段、頭のなかでは明確で簡潔なフレーズを思い浮かべ、それに従い行動しているわけではない。
ただなんとなくだったり、経験則に基づいて言葉にはならない感覚を頼りにしていたり、相手の出方に振り回されていたりと、いろいろなんだけど、それは明確でもフィジカルでもない。
そういった日々とった行動を、書くことで整理し、そのなかで何か真理のようなもの、「原則」のようなものを見出し言葉に置き換えようとしている。
なかにはエゴイスティックな正当化のケースもある。
終わってしまったことについての、やや自己弁護的な後悔や述懐の場合もある。
まあ、それでも書くことが思考を整理し、反省や発見やがそこに含まれているのだとすれば、それで自分でもよく判らない自分というものの輪郭が少しでも明らかに、なんとなくでも見えてくるのだとすれば、書かないよりは書く方がマシだということかしら。
小説を書いている自分は好きなのに、blogや日記やを書く自分のことをいまひとつ信用できないで薄っぺらだと思う理由はこの辺りにあるのかもしれないぞ。
もう判っていることだが、人は日々とんでもないチャレンジと成功と自閉的な達成感とつまらない悔恨とマンガみたいな失敗に塗れていきているもんだ。
他人から見たら本当にどうでもいいことに悩み、他人にしてみれば信じられないほどひどいことや大変なことにも、さして気に留めずにぼんやりと暮らしている。
相手にとってはまったくナンセンスないいわけをし、ウソをつき、子供じみた主張をする。
でも、まあそういうもんだから、と最近はようやく思えるようになってきた。
この1年、他人にされた嫌なことなんて、どうしようもなく恣意的な運命から受けた仕打ちに比べれば取るに足りないことばかりだった。この言葉が不愉快な誤謬を生まないことを祈るが、本当にそうだったのだから。
もちろん、次の1年がどうだかは判らないけれども。
また来年も、他人に対してではなく、自分にむかって、いいわけしたり誤魔化したりしながら過ぎていくのかしら。他人に対してそうしなくてもすむようになったのは、いくらか大人になったから? いや、社会というゲームのルールに少しは馴染んだからだろう。
ときどき手詰まりになったり、ひどくむなしくなったり、問題が大きすぎることはあまりなかったけれども厄介過ぎたりしたときには、断片的なピースでしかないいろいろを繋ぎ合わせてそこに普遍的な絵を見出そうとして、また僕は小説を書くんだろうな。
読んだり、書いたりして。ラムとメーカーズマークに溺れ、暗がりのスクリーンで泣き、笑い飯のことを考えたり怪獣のことを考えたり、カラオケでラルクを唄ったり観覧車に乗ったり、約束したり、手を繋いだり、冗談みたいな毎日を。冗談みたいな毎日のなかで、確かだと思える何かを。書いたり、それからまた約束したり。いいわけもしてみたり。
来年のテーマは「パーフェクト」、おかしいでしょ? 自分でもオイって思う。
でも、まあそんな1年もいいかも。背伸びや無理をしてみて、誰かに、ちょっと助けてよ、といいながら、手を貸してくれている誰かが驚くほど華麗なジャンプをしてみる、そんな1年になればいいかも。
そのときには気軽に手を貸して、上手くいったら褒めてやってください。
引き続き、エゴが強くて屁理屈が多くて気障な振る舞いとマンガみたいな失敗なんかしてしまう僕を、よろしくお願いします。また1年、素晴らしい年でありますように。
仕事について書いていることを読み返すと、当たり前なんだけど、その多くが整理のために書かれていることに気づいて、面白い。
普段、頭のなかでは明確で簡潔なフレーズを思い浮かべ、それに従い行動しているわけではない。
ただなんとなくだったり、経験則に基づいて言葉にはならない感覚を頼りにしていたり、相手の出方に振り回されていたりと、いろいろなんだけど、それは明確でもフィジカルでもない。
そういった日々とった行動を、書くことで整理し、そのなかで何か真理のようなもの、「原則」のようなものを見出し言葉に置き換えようとしている。
なかにはエゴイスティックな正当化のケースもある。
終わってしまったことについての、やや自己弁護的な後悔や述懐の場合もある。
まあ、それでも書くことが思考を整理し、反省や発見やがそこに含まれているのだとすれば、それで自分でもよく判らない自分というものの輪郭が少しでも明らかに、なんとなくでも見えてくるのだとすれば、書かないよりは書く方がマシだということかしら。
小説を書いている自分は好きなのに、blogや日記やを書く自分のことをいまひとつ信用できないで薄っぺらだと思う理由はこの辺りにあるのかもしれないぞ。
もう判っていることだが、人は日々とんでもないチャレンジと成功と自閉的な達成感とつまらない悔恨とマンガみたいな失敗に塗れていきているもんだ。
他人から見たら本当にどうでもいいことに悩み、他人にしてみれば信じられないほどひどいことや大変なことにも、さして気に留めずにぼんやりと暮らしている。
相手にとってはまったくナンセンスないいわけをし、ウソをつき、子供じみた主張をする。
でも、まあそういうもんだから、と最近はようやく思えるようになってきた。
この1年、他人にされた嫌なことなんて、どうしようもなく恣意的な運命から受けた仕打ちに比べれば取るに足りないことばかりだった。この言葉が不愉快な誤謬を生まないことを祈るが、本当にそうだったのだから。
もちろん、次の1年がどうだかは判らないけれども。
また来年も、他人に対してではなく、自分にむかって、いいわけしたり誤魔化したりしながら過ぎていくのかしら。他人に対してそうしなくてもすむようになったのは、いくらか大人になったから? いや、社会というゲームのルールに少しは馴染んだからだろう。
ときどき手詰まりになったり、ひどくむなしくなったり、問題が大きすぎることはあまりなかったけれども厄介過ぎたりしたときには、断片的なピースでしかないいろいろを繋ぎ合わせてそこに普遍的な絵を見出そうとして、また僕は小説を書くんだろうな。
読んだり、書いたりして。ラムとメーカーズマークに溺れ、暗がりのスクリーンで泣き、笑い飯のことを考えたり怪獣のことを考えたり、カラオケでラルクを唄ったり観覧車に乗ったり、約束したり、手を繋いだり、冗談みたいな毎日を。冗談みたいな毎日のなかで、確かだと思える何かを。書いたり、それからまた約束したり。いいわけもしてみたり。
来年のテーマは「パーフェクト」、おかしいでしょ? 自分でもオイって思う。
でも、まあそんな1年もいいかも。背伸びや無理をしてみて、誰かに、ちょっと助けてよ、といいながら、手を貸してくれている誰かが驚くほど華麗なジャンプをしてみる、そんな1年になればいいかも。
そのときには気軽に手を貸して、上手くいったら褒めてやってください。
引き続き、エゴが強くて屁理屈が多くて気障な振る舞いとマンガみたいな失敗なんかしてしまう僕を、よろしくお願いします。また1年、素晴らしい年でありますように。