2005年10月

行為ではなく、目的が/トーベ・ヤンソン『誠実な詐欺師』

ひっそりと誕生日を祝う意味で、というとちょっと違うな、何かの記念に、
いや記念というほど大仰なものではなかった筈だ。
もう少し的確な言葉を探すなら、その(ごく自閉的に)記念となる日に、何かのマーキングをしておきたかったのだと思う。
それにこの1年を占う要素が若干あったとしても構わないだろう。
なにかにつけ日常のなかにゲームや賭けの要素を持ち込もうとする困った癖は、そう簡単に戒められるものではない。
買ったのがトーベ・ヤンソン『誠実な詐欺師』だったということは数日前に書いた。
まだ読んでいる途中なので、感想などはまたいずれ。
だが、そのなかにあったこんなくだりが気になった。楔のように、それは突き刺さり、棘のように疼いている。

「…クリングさん、あなたはわたしの署名をそっくり真似ることができる。
わたし自身も顔負けの正確さで。あなたの思慮ぶかさを示す特徴、それもほかならぬわたしに向けられた配慮を示す特徴だわね」
「そうでもないですよ」とカトリ(・クリング)は指摘する。「たんなる観察の問題です。一定の習慣や行動様式を観察して、(…)あとは様子を見るというだけで」
「なにを見るというの?」
とアンナな腹立たし気に言った。
「その後のなりゆきを」
とカトリは答え、アンナをまっすぐに見た。カトリはゆっくりと続けた。
「アエメリンさん、
人が互いに相手にすることなんて、行為そのものとしては、ほとんどたいした意味はないんです。
重要なのはその行為の目的、つまりなにをめざしているか、どこに至ろうとしているかということです」


(改行は勝手にいれています)
なにごとにつけ本音でしか語らず、人生に対して割り切った真理を見出しそれに従うカトリ・クリングと、作家として印税で裕福な暮らしを手に入れているアンナ・アエメリン。
カトリは、しかし諦観にも似た人生の真理への忠実を抱え、
アンナは非常識に近い人生への不見識ぶりを物語のなかで見せる。
どちらも生きていくうえでは窮屈なのかも知れない。
そんなカトリは、弟マッツのために、アンナの住む「兎屋敷」を手に入れようと画策する。
しかしそれは犯罪ではない、暴力ではない。
論理的に、良心の痛みも非道もなく手に入れようと試みるのだ。
そうすることこそが真理に従うことだとでもいうように。
(カトリは、はじめアンナに対して悪意さえもっていない)

ムーミンで知られるヤンソンの長編小説。
読んだことのある人ならご存知だろうが、原作のムーミン谷は奇妙としかいいようのないところだ。価値観が、思考の筋道が。
『誠実な詐欺師』の登場人物たちは、ムーミン谷の住人たちがまだ人間の姿を保っているときの話、…そんな印象。
しかし、読みながらところどころで僕ははっとさせられてしまう。
「…人が互いに相手にすることなんて、行為そのものとしては、ほとんどたいした意味はないんです。
重要なのはその行為の目的、つまりなにをめざしているか、どこに至ろうとしているかということです」

ということを僕はよく知っていたが、
それをこうも的確な言葉でいわれたことも自分からいったこともなかった。
歪だと思っていた人物たちが、つきつけてくる言説やアフォリズムに溺れてしまう。
なんだか、この寒い村は奇妙に居心地がいい。
切れ味は鋭いというのに。
小説、というより言葉の、凄みが伝わってくる。


(『誠実な詐欺師』についてとても素敵なページがあったのでリンクさせていただきます。無断)

Virginity

携帯電話のストラップはcentrairのキャラクター、それも謎の荷物持ち。
この春に名古屋に行ったときに買った、ちょっと思い入れとエピソードがある。
名古屋入りして空港の告知看板を見て一目惚れしてしまった、それでストラップを探そうと思った。どこかのショップで見たわけではなく、それがあるかどうかも判らなかったのだけれど、きっとあると思った、それで名古屋中を探し回って見つけたのだ。
そういう旅先でのイレギュラーなエピソード付きなので、ちょっと変えるのが忍びないのだが、最近、ストラップを変えようかとぼんやり考えている。
心境の変化なのか、何か新しい転機を期待してなのか。
自分のことなのに、判らない。それが結構、面白くもある。

自分の好みではないとぼんやり考えていたものに、不意に魅了される瞬間がたまにある。
なんかドキドキする。
自分が自分を裏切る、その瞬間が。

最近、とても親しくしている友人には欠点があって、それはあれこれ味にうるさいことだ。
偏食多いクセに~、とは思っていても口には出さないが(←書いてるって)。
コンビニエンスストアで「TULLY'S フルシティ・ロースト・モカ」を見つけた。
165円だったかな、ローソンで買ったのだけれど、レジのおばさんが「高いねー」といったので笑った。アンタの店の商品やがな。
はっきりいって美味しかった。最近、スタバにちょっと飽きている。

その同じローソンでOHAYOが出している「ジャージー牛乳ヨーグルト[バナナ味]}も購入。これはどう頑張ったって無理だろ。バナナ味全開、美味だった。

こういうことを書くと無分別だと思われちゃうんだろうが、それは覚悟のうえで。
とても、少なくとも僕にとってはとても、大切なことなので。
処女をいただくより(きゃーっ!この物言い、でも勘弁してほしい)処女作を贈られる方が遥かに光栄で、そして重要なことだと思った。
これも暴力的で不躾な印象を与えることを覚悟で書くと、処女は、100人の女性がいればそのうちほぼ全員が誰かに与えるものだろう? でも処女作、といわれるその書き手にとって最も重要な作品は、100人の人がいたからといってその全員が書くとは、つごう100の作品が揃うとは限らないもの。
もちろん稀少性だけの問題ではない、ただ100人の人がいても、そこで処女作と呼ばれる作品が上梓されるのは、もしかしたらたった1作であるかも知れない。
そういった作品を贈られると身が引き締まる、そして自分が生まれて最初に書いた作品のことを思い、それがどれだけ稚拙であったか、しかしそれでも自分にとってどれほど重要であったかを思い、改めて、いろいろについて思慮を巡らしてもみる。

こういう芸当が許されるか

36歳、初映画は『シン・シティ』町山智浩サマの記事で見て以来、強烈に期待していた。コチラも。

僕はロドリゲスが好きではない(『デスペラート』は面白かったが)、タランティーノも好きではない(これは『詩学』04年5月号参照のこと)、『キル・ビル』は大好きだけど。
それでも、『シン・シティ』には魅了されていたし、そしてその期待は少しも裏切られなかったよ。
観れば判るが、これはロドリゲスの『パルプ・フィクション』であり、そしてとても革命的な映画でもある、…というようなことを書こうとしたんだけど、長くなったので、『詩学』のコラムとして掲載してもらうことにしました。
ひどい話だが、『シン・シティ』について続きは、11月27日発売の『詩学』誌上で。
いや、ホントすみません、…。
あちらこちらのサイトやblogを見ると賛否両論みたいだな。
ただ、多くの記事で「デートにはむかない」「彼女と行くと、観たあとしばらく話題がなくなる」とか書いてあって、笑えた。なるほど。

象徴

36歳になっての豊富は? と訊ねられて、すぐに出てこなかった。
これまでだったらたいていが「いい小説を書くこと」と即答だったのに。
別に後退ではない、と本人は思っている。
そうやって固く決意表明をしなくとも、小説を書くという行為がよりいっそう呼吸に近く、生活のなかにしっくりと、なってきているのかも知れないし、…。

「結局なんか仕事のことばかりだな」
と僕はいった。
「いいじゃん」
といわれて、うん、と頷く。
そうだよな、それは悪いことではないし。

そうして眠りについた夜の、36歳最初の、夢は2本立てだった。
最近は夢を見ること自体が少なくなっているので(覚えてないだけだろうと思う)、なんとも豪華なことだ。誕生日だと夢の神様までご配慮くださる。

1本目の夢のなかで、僕は小説を書いていた。
楽しそうだとか苦しそうだとかいった印象は少しもなく、ただ書いていた。
側に担当者みたいな背広の男がいたようにも思う。どうだっただろう。
机にむかって小説を書いている自分の肩越しに、僕はその男を見たのだった。
締め切りに追われているというような切迫した雰囲気はまったくない。
ただ、書いていた。

目覚めてから、
その1本目の夢と、それから2本目の夢とのバランスを思い、思わずニヤリとした。
お察しの通り、2本目の夢は仕事の夢だった。
楽し気に仕事に勤しんでいた気はする。

そうやって帳尻を合わせながら、まあ頑張れよということなのか。
考えようによったら、移行を象徴しているのかも知れないが。
でも、あの編集者然とした男は。

スケール

会議前、NU茶屋町脇のTULLY'Sに寄る。
これからもこんなに空いててくれるなら助かる~。

フェイバリットのアルバムが85年と90年に集中していたことに驚いた。
もしや!? と思って調べてみたら、MY Japanese best1アルバム『家庭教師』も90年だった。こりゃ、なんかあるかな、やっぱり。
今年はNew Orderもdepeche modeもアルバムが出た。
ティム・バートンもクローネンバーグも(公開は来年だろうが)映画を撮った、サザンのアルバムも7年ぶりに出て、阪神もリーグ優勝した。

会議から教室に帰る。
ばたばたとして夕方、教室の前で通塾してくる生徒の自転車の整理、をしていると、側にある名門女子校の制服を着た女の子たちが通りかかる。そのなかに見知った生徒の顔が。
「先生~」といって寄ってきたので、立ち話。その間、彼女の友達は遠巻きに待っている。
ひとしきり話したところで「友達、待ってるじゃん」という。
「ん、じゃねー」と手を振りながら戻っていく背中を見送っていると「彼氏?」ととんでもないことをいってる声が耳に。おいおい、30以上、年齢差があるんですが、…。
くだんの彼女は平然、とした様子で「ううん、センセイ」と答えていた。強く否定されたり、きも~とかっていわれたりしてたらヘコむよな。

ある転機だった。
ひとりではなく複数の人から「もっと優しくなりなさい」といわれた。
「許す」ということを覚えるように、と。
この数年、許さずにいるのは辛かった。でも、そうしないと、駄目なことを看過せずに、自分の物差し(もちろんそれは完璧ではなく、普遍性も獲得出来てはいないのだが)を当てはめ、違うと思えば違うと声高に自分に対していい続けないと、何かがブレる気がしていた。
それは明らかに強迫観念だったと思う。
自信がないから、もしくは慌てて自分の立ち位置を明確にしておく必要に迫られていたから、
…ということにしておいてください。

その反省は0:00を過ぎたときからゆっくり生まれていて、今朝方、TULLY'Sから1通、メールを送った。
まあ、謝罪。まだ間に合うか手遅れかは知らない。相手の否はまだ認めているが、それについてきちんと指摘しなかったことをちょっと悔いている。

『江戸川乱歩全集8』を読み終え、本屋でちょっと思い切って買ったのは、トーベ・ヤンソンのコレクションから。『誠実な詐欺師』。

ここは不安な匂いがする。ずっと長い間、沈黙が支配してきたのだ。見たところ彼女はわたしが想像していたとおり。兎だ。
アンナは繰り返す。「ええ、郵便物のことではどうもご親切に…。わたしにはもちろんたいせつなものですけれど、それにしても…」アンナは相手が答えるのをしばし待っていたが、また続ける。「コーヒーを沸かしたんですよ。お飲みになりますわね」


この文体に惹かれた。
ヤンソンはいわずと知れたムーミンの作者だが、原作はよく知られているアニメと異なり、とても奇妙な価値観に覆われている。ムーミン谷は常に閉塞した不安に満ち、そこの住人たちは少し歪な考え方をしていた。
大学のときに衒学の友人から、面白い、と勧められて読んだのだ。
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