2005年09月

DEAD BOOKS

清水博子『処方箋』 野間文芸新人賞
重松清『日曜日の夕刊』
横溝正史『首』
、これは短編集。
たからしげる『ラッキーパールズ』 少年の草野球の話。
舞城王太郎『山の中の獅見朋成雄』
イアン・マキューアン『アムステルダム』
町田康『きれぎれ』 
芥川賞だっけ?

他にもあったと思うけれども、すぐ手に取れるところにあって放ってあるのはまずこれくらい。
本を読んで面白くなくなるのは、本の面白さに不感症になることだと、アンテナの精度が落ちることだと思っている。
僕のそういった能力も鈍ってはきているわけだ。
一冊の本を読みきるまでこらえることが出来なくなっている、その面白さをどこからか発見するだけの嗅覚も損なわれている。残念だが、そういうことなのだと思う。
最近、本が読めない。
もしかすると本だけではないかも知れない。
いろいろなインプットに対して貪欲ではなくなっているのは確か、現実のアレコレの方が面白くなっているのも確か。
ヤバいかも。

でも映画について期待は募っている。
『シン・シティ』は前にも書いたけれども、遂に10月公開。
クローネンバーグの『ヒストリー・オブ・バイオレンス』はいわずもがな、
いまのいちばん期待はジョディ・フォスターの『フライト・プラン』だな。公開、いつになることやら。

日常のいろいろの方が面白い。
それで正常だと思う。
小説を書きながら、別にお前が書かなくても世界は何も変わりはしないぞ! と常々,囁きかける影がある。その悪魔は僕にとてもよく似た顔をしていて、僕のことなら何でも知っている。
それに抗うように、観念的な出口を探し当てるかのように、今日も僕らは生きているのだ。

もてあましもする/『太陽の季節』

高校生の竜哉は、拳闘部の仲間と飲んだり、ヨットで海へ漕ぎ出したりして遊んでいる。ある日、街で英子という少女を引っ掛ける。ブルジョワの家庭に生まれた英子は、しかし誰も本気で愛することの出来ない女だった。本気で女性に愛情をむけられない竜哉と、英子は、愛というよりは奇妙な共感で結ばれるが、やがて、…。

石原慎太郎の原作は途中でやめてしまったが、映画『太陽の季節』は面白かった。
なにより、ヨット、クラブ、別荘、・・・そういったギミックが構築している世界はとてもモダンでカッコいい。飽和した感じ。贅沢の果てに、何も悩みも恐れもない果てに、むきだしの何かが転がっている。それは暴力かもしれないし、性的な欲求なのかも知れないし、それ以外の何かかも知れない。指先がその何かに触れたような気がする映画。
なにより、英子を演じる南田洋子がとても艶っぽい。
逗子にある竜哉の家で、彼にサンドバックを叩けと命じる彼女は、すさまじいエロティシズムをたたえている。

自分も一個の肉体に過ぎないのだ。
それは殴りあう道具にもなり、もてあましもし、そしてセックスの道具でもあるのだった。
大切な繋がりを生むツールにもなり、渇望の原因にもなり、そしてただの図体でもあるのだ。どう使うかは意志に基づき、ときどきは運にも左右される。セックスが出来るとか出来ないとかはタイミングに過ぎない、のかも。
そんなことを考える。当然、そこにはスキルもつきまとう。
こういった思考が渦巻くほどには危険で、悩ましい作品。

いびつでキュート/『チャーリーとチョコレート工場』

『チャーリーとチョコレート工場』を観ながら、「なんでワーナーなんだ」と思っていた。
ユニヴァーサルだったらいつの日にか、USJのなかに『チョコレート工場』のアトラクションが出来ただろうに。そうすればチョコレートの滝がしぶきを上げる草原を僕らは目の当たりに出来た筈だ。

ティム・バートン監督『チャーリーとチョコレート工場』を観た。
楽しかったと同時に、バートンも大人になっちゃったな、と思った。とても素敵で啓蒙的な大人の映画になっていた。原作のせいなのかな? でもあのロアルド・ダールだし、…と思っていたら、親しい彼女が貸してくれた。作品の最も中核をなすワンカ氏のエピソードは、もっともハートウォーミングで謎になっているエピソードは原作にはなかった。驚いた。かつてのティム・バートンなら蹴っ飛ばしそうなコアが、実は映画オリジナルだったとは。

原作との距離がとても不思議な映画で、あちらこちらの評を見ていると、多くは「原作のイメージ通り、ウンパ・ルンパだけがずいぶん異なりそれは賛否両論」って感じで書かれているんだけど、…そうか?
確かに表層は奇跡かと思えるほど原作を忠実に再現していた。
僕の場合は映画を観てから読んでいるのでやや先入観も入っているとは思うけれども、これは最近の傾向でもあると思う。『ハリー・ポッター』以降、原作と同じ舞台やカラーやアトモスフィアを醸し出すことはどうやらそれほど難しいことではなくなったらしい。それを監督の才能につけられた制限ととるか、実際には映像作家にとってはどうでもいいことらしいと受け取るかは作品にもよるだろう。
バートンにとってダールの世界はきっとぴったりだったんだろう。
(まあ、チャーリーの家をスクリーンに観たときには「100%、バートンじゃん!」と狂喜したが)

ただ、原作とはやっぱり違う。
それだからこそデップを主演にも出来たのだと思う、もしかしたらデップだからこそその核となるエピソードを思いつけたのかも知れないけれど。

やっぱり、善人だな、デップもバートンも。

物語が冗漫だ、とか読める、とかいった苦言もあるだろうが、これは予定調和の面白さなんだと思う。しつこくまだやるか!? といった点を楽しめばいい、よく観てると監督もキャリアだけあって、そのパターンを細部で巧妙に裏切ったり、凝ったりしている。ダニー・エルフマンとの連携もうまくいってると思う。
『キル・ビル』が映画を殺す、というコピーはやり過ぎだけれども的は射ている、と前に『詩学』で書いたが、ここにまた、映画のフォーマットを裏切る/殺す、映画の登場だと思った。観てもらったら僕がいいたいこともわかってもらえる筈。とてもいびつで、でもそのいびつぶりがキュートなところは相変わらずのバートン映画だ。

君が望むのならば

上司と飲むことがあった。カラオケにいって「捧げますって」といってエールがわりに唄ったのはこの曲。

バラ色の日々を君と探しているのさ
たとえ世界が行き場所を見失っても
汚してしまったスパンコールを集めて
真冬の星空みたいに輝かせよう

追いかけても追いかけても逃げていく月のように
指と指の間をすり抜ける バラ色の日々よ

あのとき感じた夜の音 君と癒したキズの跡
幾つもの星が流れていた 慰めの日々よ
砂漠の荒野に倒れても 長い鎖につながれても
明日は明日の風の中を飛ぼうと決めた
バラ色の日々よ バラ色の日々よ


どう受け取ったかは知らない。拘泥はしない、送りたかっただけなので。
と思っていたら、その時間の終わり頃に、上司が唄ったのがこの曲。

苦しみも憎しみも忘れてしまおうよ
スプーン一杯分の幸せをわかちあおう
君が思うほど僕は弱い男じゃないぜ
愛と勇気と絶望をこの両手いっぱいに

赤い夕陽を浴びて黒い海を渡ろう
そして遥かなあの自由な聖地へ
ひとりきりもいいだろう ふたりだけもいいだろう
猫もつれていこう 好きにやればいい
いつか僕らも大人になり老けていく
Make you free 永久に碧く yeah!


そういうケレンや手管が得意な人なのかどうか、実のところはよく知らない。
めちゃめちゃに仕事が多く、歯痒い思いを多分いっぱいしていて、見方は多いけれども実際に保有している戦力がとても少ない人なのだ。その人の切り札、とまではいかなくとも、使える札の1枚になれればいいな、と思っている。
ああ、そうなんだ、僕が思っているほどアナタは弱い男じゃないんなら、よかった。
別に弱いなんて思ってはいないけれども。

(「バラ色の日々/the yellow monkey」)
(「楽園/the yellow monkey」)

同じ

隙間を縫うようにして髪を切りにいく。
「そろそろ切らないとな~」と思っている間は長いのがウザい。
切られている間は、鏡のなかでサクサクと動くシザーを見ながら「おお、印象違うやん」と心地よい。
切り終えるときまって「あちゃー、切りすぎだよ」とヘコむ。
いつも同じ繰り返し。今回もそうで、切りすぎたメリットといえば、そうだな、もう10年近く前にハワイで買ったウッドストックのキャップがかぶれることかしら。
実は結構、帽子持ちだったのだが(というか一時期、キャップにはまっていた)髪の少ない時期しかかぶれないのだ。

その日はとても混んでいて、髪を洗ってもらってからもしばらく、持参した本を読みながら待っていた。
やがて美容師サマ登場。
僕の左側から「○×※△~?」と訊いてくる。
ご存知の人も少なくないだろうけど、僕は左耳がまったく聴こえないのだ。
それでもこのシュチュエーションなら、だいたい訊ねられていることの予想はつく。適当に答えるのだけれど、この日はなぜか、左が聴こえないことを説明し、もう一度いってくれ、といった。
本当になんとなく。
美容師は、あ、といった顔を一瞬だけ見せると右側に立った。訊ねてきた内容はやっぱり「どのくらい、どうカットするか」だった。
サイドはこれこれこうして、後ろはこんな感じでいい、といったことを説明しながら、僕は自分でもちょっと不思議だった。なんで耳のこといったんだろー。

耳が聴こえないことって、目とかその他の障害と違って外見からは判らないんだよな。

シザーを入れはじめながら美容師が話しかけてきた。
「まったく聴こえないんですか?」
「ええ、まったく。神経だから」
「不便でしょ」
「もう長いから」
3歳のときからなのだ、というと美容師は意外な返答。
実はわたしも、左が聴こえないんです」
え?と今度は僕が訊き返す番。
「神経?」
「ええ」
そのあと、左耳が聴こえない僕は髪を切られながら、左耳が聴こえない美容師さんと話し続けた。ストレス? と訊くと、そう、と彼女は頷き、最近多いんですって、といった。それから補聴器があるんだけれども神経にはそれほど有効ではなく、雑音もまじるというので多分使わないだろう、とか。僕が聴こえなくなったのは高熱で神経を灼ききられたからだ、とか。
彼女が僕の頭の右側を切っているとき、僕らはさかんに会話し、情報を交換し、彼女が僕の頭の左側の髪を切りに左に立つと、僕らは途端に会話をやめた。
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