2005年08月

『クイズ王』対『推理劇』

合宿は、6年生が勉強中心のプログラム、5年生にはいくつか楽しいイベントもある。
そのロケーションによっては星を見に天文台に行ったり、潮溜まりにいってシャツのまま泳いだり、カレー作りに勤しんだりと、いろいろ。
1日、夜にゲームやクイズの大会を行う日がある。内輪ネタからアカデミックなヤツから普段の授業の内容が反映されているものから、幅広くやる。合宿に参加した当初から、なぜかこの5年生のイベントに深く関わるポジションにいる。楽しいイベントは大好きだし、なによりもゲームやクイズはもっと好きだし、それはそれでとても楽しい。

1ヶ月ほど前から、企画チーム6人でそのプログラムを考える。
推理劇をやろうというアイデアはその場でW先生から出された。周囲のみんなは、それに成功の目算がないと思ったのか、初めあまり積極的ではなかった。
僕はやりたいと思った。
ひとつ、去年からずっと思っていることがあったのだ。
去年のイベントは大成功だった。ベテラン教員を「クイズ王」に仕立て、その人のアドリブで破壊的な笑いを取ったのだ。受けた。
それはそれでよかったのだけれど、密かに忸怩たるものがあった。クイズ王の発案もチームでしたし、その衣装はイベント当日、授業の空きコマで僕が手作業で作ったりもしたし(工作は苦手だったんだけどな、好評だった)、受けているのを見ながらカタルシスはあったけれども、
(なんか違うな~)
という思いがあったのだ。
緻密に組み立てたものでは、入念に準備したものではないのに、こんなに受けやがって、…という口惜しさのようなものなんだと思う。もちろん、それにはクイズ王に扮してくれた上司の力が大きくてそれには圧倒されるし、それを嬉々として演じられているのを見ていて本当に僕は楽しかったし、素敵だな、とは思ったのだけれど、何か自分の力不足みたいなものを強く突きつけられたような気がしていたのだ(ろう、多分だけど)。
インプロヴィゼーションを否定しないけれどもなぁ、…。
もっと計算された構成は出来ないのか、僕らに出来るのか?
追い討ちをかけるような言葉が、ある場所で上司から出た。
「ああいったイベントは、緻密に組み立てたものより、勢いでやる方が上手くいくんだよ」
本当にそうかな?

企画チームの会議の場で、
「推理劇、やろうよ」
と僕はいった。
個人的に、いま書いたような気持ちがあった。
そういうところだけ意地っぱりなのだ。
くわえて、探偵とかミステリーとか大好きなんだもの。

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その空間/目的

もちろん、そのコアにあるのは教務であり授業であるんだけど。
毎年の夏の終わりの締めくくり、合宿に行ってくる。日ごろの流れから不意に切り離されて、普段とは違うコンセントレーションが要求されるこの数日が大好きだ。
仲はすごくいいのに、それぞれの仕事のつごうで滅多に顔を合わせて時間を堪能することの出来ない教員同士が、4日間、同じ目的で過ごせるというのも楽しい。子供たちが日を重なるごとに、いつもと違う執着やパワーの出し方や、手探りでの目的の見つけ方を獲得していくのも興味深い。

いちばん最初に勤めた塾で、初めて合宿に参加したときに、先輩教員がいっていた、
「合宿って死ぬほどしんどいけど、死ぬほど楽しい」
という言葉をいまでも思い出す。塾業界を転々とし、いろんな塾でいろんな形体の合宿に参加したけれども、その教員のいった言葉は外れない。

文化祭とか自主制作映画の撮影現場とかのノリが好きなんだろうなー。
もちろん、そこで負う責任の形はずいぶん違う。社会的なもので、とても大きい。
みんなでひとつの場所に放り込まれて、最初は見えてこない大きな絵を描いているようなあの感じが好きなのだ。そのなかでそれぞれが自分のポジションで持てる以上の力を発揮していくのが。
それで、いままで気にしていなかった誰かの魅力を発見したり、それまであまりよく思っていなかった相手のいい面を発見して認識を改めたり。教員同士でも、生徒に関しても。

自分のとても信頼する上司に、頼りになるヤツだと思われたい。
普段一緒に過ごす時間がないので、こうして長い時間一緒にいると、自分がそう思っていたのだということに気づく。
まだ若手の新人のつもりが抜けないので(笑わないように、マジだから)、コイツよく動くな~、とか、結構気が利くじゃん、とか、視野が広いね、キミ、とか思われたいのだ。
そして同時に、自分よりも本当に若い教員や同僚の教員たちにも、同じにように思われたい。
その結果、みんながそうなって、上司から、キミではなく、キミら、よく動くな~、とか結構気が利くじゃん、とかいわれたいというのがいちばん本当のところなんだよな。
ひとつのチームとして評価されたいという願望はいつだって強くあるし、自分がその一翼を担っていたり、自分が的確な指示を下せていたりすればいいな、とは強く思うよ。

もちろん、そのコアにあるのは教務であり授業であるんだけど、それだけで大きなイベントは成功しない。現場は教室の外にもあるんだよね。

ヤル気なんかどうでもいい

「どうでもいい」とか「面倒くさい」とか「どうにかなる」なんていいたくないな。
緻密に計算して、それが達成されたときの方が、達成感は確実にある。もちろん、計算ばかりを信用するわけではないが。

何でも積極的に取り組もうとする人は比較的、周囲から高い評価を得ているようだが、そんなことはどうでもいい。積極的に取り組もうとして、碌に貫徹出来ない人間は醜悪だ。なのに、最近はそういった醜悪さに気づかれないで、「あの人はヤル気がある」という、それだけが高い評価につながる。そんなことは何の役にも立たないのに。結果を出さないと、あるいはひとつ、きちんとやり終えないと、意味がない。

5年生の授業で毎回、漢字テストを実施した。満点は20点。
その20点が取れない。
後半、かなり意図的にプレッシャーをかけた。この夏の間に20点、取ってくれるんだろう? と。
最終授業、取れなかった生徒は何名もいた。口惜しそうな顔をするもの、冗談ぽい表情をつくり口惜しさを誤魔化すもの、力のなさをただ笑顔で誤魔化すもの、いろいろ。
僕は彼らにいった。
「20点、取りたいと思ってただろ? 思ってて取れなかったんやろ、それがキミらの実力やで」

満点を取りたい、楽しい企画をやりたい、イベントを成功させたい。
いや、もっと。大学に受かりたい、いい小説を書きたい、新しい仕事を成功させたい。
いろいろ思うことはあるだろう? でもいくら思っていても、いくら強く真摯に願っても、達成できないことがあるのだ。なぜか、達成するだけの、願いをかなえるだけの能力が自分にないからだ。

僕はいった。
「キミら、満点取りたいと思ってただろうけど、じゃあそのための努力なり工夫なりをした? いままで通りのやり方で取れないと判ったら、そのやり方を変えた?」

願うことは簡単だし、タダだが、それを達成しようと工夫することは容易じゃないよ。
そういった工夫は一朝一夕では出来ない、誤魔化すことは習慣になるので、そしていつしか誤魔化していることに気づかなくなるので、怖いな。

ときどき踏み込みすぎても/三島由紀夫『美徳のよろめき』

「やがて節子が立ち止まって暗示を与えた。ようようのことで土屋は唇を近づけたが、その唇は節子の唇のすぐ間近まで来て止まり、口のはじで軽く笑って、知らないぞ、と言った。節子は返事の代わりに男を抓ろうとしたが、男の外套の生地は厚くて、抓るに由なかった。そうする間に二人は接吻していた。」

三島由紀夫『美徳のよろめき』のなかの一節。
節子は良家の子女であり、良人がいる。ただし、三島流のいいまわしで彼女は「官能の天賦にめぐまれて」いる(きゃーっ)。
彼女は何の疑いも呵責もなく、恋愛を実行してみようと試み、かつて一度だけ接吻を交わしたことのある若い男・土屋を相手に選ぶ。自分に良人がいることに自覚的な彼女の仮想から生まれた恋、それは「けっして許さない」と決めた恋だった。だが、彼女は自縄自縛に陥り、自分から恋愛の深みにはまっていく。

掲げたのはその土屋と彼女が最初(本当は二度目だが、9年ぶりの。新しく仕掛けられた恋としては初めての)に口唇を交わす場面。
正直に告白するとして、この土屋に嫌味より羨望を感じるのは、僕のなかに澱む劣等感の故だろうな。
不道徳なことに、蓮っ葉な科白や振る舞いに憧れる。それは思春期に軟弱でお行儀よくしか出来なかった反動なんだろう。いまでもそうなんだけど。人生がときどき意地悪い顔で隙間見せる冗談みたいなその瞬間に、アクセルをちゃんと踏み込みすぎることの出来る人間に憧れる。
恋愛はある人たちにとっては実行不可能な冒険なんかではないが、ある人たちにとってはそうである。
まあ、実際にキスの手前で「知らないぞ」なんていったら、けれん味が過ぎるっていって笑われちゃいそうな気もするが。
『美徳のよろめき』に登場する土屋は鼻につく、節子はその未熟な思い上がりがたまらない、しかしとてもドラマティックであり、恋愛が功利的な計算を必ずしも必要としないということを証明してくれる。
9年前に交わしたときの土屋の接吻はたいそうつたなかった。けれども。
先の引用文はこう続く。

「節子は、当然のことながら、九年前と比べて土屋の接吻が巧者になっているのにおどろいた」


letter to you

『 夏もどうやらおしまいみたいで、涼しくなってきた。
長い休みの間、ほとんど曇りだったせいもあって、今年の夏は全然焼けなかった。出勤にも長袖・上着着用の習慣を貫いているので、ニノウデは白いままだ。気持ち悪い。夏らしくない。
どうにか読書の習慣は戻ってきたけれども、なんか当たりが少ない。
高田崇史、読了。人物が魅力的でないとやっぱり辛い。車谷と三島が猛烈に読みたくなる。
 ×
いつもの倍以上ある授業も、そのペースはつかめているのでそれほど苦ではないんだけど、ここ数日は秋からの授業の準備に追われている。自分の持ちコマが終わってからは、最上階の印刷室にこもって1人で延々と印刷・振り分けを。
ただ、何もしていないと不安になるので(脅迫観念だ)、無心に印刷していると落ち着くことは落ち着く。
ヤバいのかな。
それでも今日は10時には帰ってきて、『詩学』の原稿を仕上げた。客観的にはたいしたことはないだろうが、個人的にはとても恥ずかしい、きっといままででいちばん恥ずかしい告白に堕した原稿になっちゃったよ。9月末日、店頭に並びます。
 × ×
ようやく涼しくなってはきたんだけれども、台風が接近中でもあるんだよな。
日程的にちょっと心配。
数日前に書いた「推理劇」なんだけれども、最初は、僕は出ないつもりだった。
自分で書いた脚本の芝居に出るのは、気恥ずかしいというよりなんだか図々しい気がするのだ。ナルシスティックだというか。
 
上演される状況の性質上、さすがに殺人は不味いと思い「絵画が盗まれる」話にした。
登場人物は7人、社長と招かれた客人たち、プラス警察の人間2人。
僕が演じるのは警察の1人。本当は出来の悪い社員の役で容疑者のひとりとして、脇役で登場する方が性にはあっているのだけれど。
物語の後半は、警察の人間が質問をし、容疑者たちが答える形をとる。トラブルが起こったときに対処しやすいのではないかしらと思い、警察を演じることした。他の出演者を信頼していないわけではなく、ただ圧倒的に読み合わせと練習の時間が少ないことを考えたら、まあ脚本を書いた人間がいちばんどうにか出来るんじゃないか、というだけのことです。
そんなわけで、やります。いわゆる探偵役。
 × × ×  
南半球の世界地図は、日本で入手できる地図と反対に世界が描かれているというのは本当ですか? まあ、本当なんでしょうね。
余裕があればどこかで手に入れてきてください。
そちらが常夏の印象なのは、僕の不見識に因るものなんでしょうね。世界にはまだまだ知らないことが、というか知っているつもりでいてもピンと来ないことがたくさんあるよ。
マイナス6℃だって? 冗談みたいだ。
 × × × ×
僕は、ビリヤードは苦手なのであしからず。
せがんでも連れて行かない。そういうと、いつも賭けに負かされてばかりいるキミは、これとばかりに僕を引っ張り出すのかしら? でも大丈夫、キミに負けるほど僕は下手ではない筈。
せいぜい腕を磨いてきてくださいませ。
では、9月にね。 
(手紙、23日に届いたよ)』

(大変、個人的で申しわけなんだけれども、この項、NZにステイ中の友人に宛てたものです。たまには、こういうのもアリで)
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