2005年06月

何かを整理すること

小説を書くのは自分のなかの何かを整理することだと思う。
他の人はどうか知らない。何より僕はプロでも何でもなく、趣味としてただ書いているに過ぎないのだけれど、書いているその間は思考の純度が高まっている気はする。
仕事とか、生活とかをおろそかにしているということではない(いいわけではない)。
感覚のなかの、普段は使っていない繊細な部分や鋭利な部分を、小説を書くために使い、そのせいで小説を書く以外の面でも繊細になったり鋭利になったりしている気がする。
でも今回はちょっと途中でへこたれた。
認めたくないけれども年齢のせいかも。あるいは(この間もちょっと書いたけれども)仕事とか生活とかが以前より僕のなかで重要度を増したせいかも。
その神経の特別な部分を働かせるにはやはり何らかの普段以上にパワーの出せるエネルギーが必要なのだ。それが、年齢のせいで振り絞れなくなっているのか、仕事に使う分のエネルギーを狡く減らして執筆のパワーに回すということが出来なくなっちゃったのか。
ブランクが長かったので上手く配分が出来なかったということにしておきたい。
(この前に書いた100枚級の作品といえば『マチネ』という同人誌に掲載した「Q.T」という作品で03年の初夏のことだ)

今週はいよいよ『宇宙戦争』公開!
これはスゴいことだよ。
トム・クルーズ&スピルバーグといえば『マイノリティ・リポート』だが(このときは+P.K.ディックだった)、若干プロットの複雑さに演出のパワーを削がれた感は否めない。
ゴシックな感じのサスペンスを作りたかったのは判る、スピルバーグが本当に「逃げる」演出の上手い監督だということも判る。
ただ、基本設定がいまひとつ上手く説明しきれていないので、クルーズ演じるアンダートンへの共感が弱かった。それで後半に入ってからの謎解き→逆転のモチベーションがいまひとつ上がりきらなかった。
素敵なショットやカッコいい場面はたくさんあるし、何度観直しても途中で目は離せなくなるけれど、爽快感がいまひとつ足りない。

今回はプロットは明確な筈だ。
その分、『ジュラシックパーク』のように人物の機微にも共感できる判りやすいサスペンス、尚且つ感動もアリ、と信じているんだけれど。
クルーズ、ダコタ・ファニングに加えティム・ロビンスが出ていると知って、期待はさらに倍加しているが、予告にも全然姿を現さない。まさか火星人では…? と心配していた。
ヘレナ・ボナム・カーターというとても艶っぽい女優がいて彼女がバートンの『猿の惑星』に出ると知り、下心から期待していたら、メイクを施して猿の役だったからな。
ティム・ロビンス、でも最近になって素の(人間の)顔で出ているのをチラと見た。原作どおりだとすれば牧師補だろうか? 
最近は封切られてはやく観にいかないと、TVの予告で全部流されちゃう。
見せれば観客が増えるってもんでもないだろうに。劇場での驚きを大切にしてくれよ、ってことで、『宇宙戦争』サイトへのLinkはナシです。

隠れ「Tarako」ファンが

ところで25日の土曜日にはSASの旧シングル44タイトルがリリースだったんだよな。
サザンのシングルって以前にも、数十タイトルCD化、とかっていって出されていて、結構、節目ふしめで稼いでる印象があるぞ、ビクター。
でも結構、売れたみたいだ。
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真夜中のご褒美

ここ数日、blogを書いてなかったのはヘコんでいたわけではなく、小説を書いていたからです。

仕事終わって12時頃に部屋に着いて、食事して3時頃まで書く。
一段落ついてもまだ脳が興奮しているので、しばらく雑誌とか軽いものを読みながら、飲んで、ぼんやりしてきたら眠る。
翌朝は9時頃に起き、仕事のこととか考えながら部屋を出る。
出勤の途中でお茶、もしくはファストフード(ファーストフードって間違ってるよな、ファストが正しいのでは?)のお店で、夜に書いた原稿に赤を入れた。
充実感はあった。小説を書いているとたいていはそうでない時間もポジティヴでいられるんだけれど、今回は、この2週間はそうではなかった。小説以外の時間が重かったせいもある。いろいろ多すぎたので。

その真夜中の飲酒に、自分にひとつプチ贅沢を許した。
いや、たいした話ではないんだけど、……。
発泡酒だとかその他の雑酒だとか飲んでいたんだけど、執筆中にのこの数日に限り、ビールを飲んでもいいことにしたってだけで。
いつもなら仕事から帰ってきて着替えるなり飲んじゃう。この数日、書き始めてきりがつくまで飲まなかった。その間の禁欲感を高め、ひとしきり書くまで耐えた自分へのご褒美って意味をこめて。ビールを許したのだ。
そこで発見したのは、ビールってこんなに美味かったのか! ということ。
正直、銘柄とか発泡酒との違いとか判らないんだけれど、だーっと20枚くらい書いて、ふっと一息入れて、凍らしておいたグラスで飲む。
もう発泡酒を有難がっては飲めないな~と思った。料理しながらその片手間に飲むんなら何だっていいのだが。ちなみに飲んでいたのはキリンクラシックラガーです。
ビールの味、再発見だな。

やり方が上手くない

三島由紀夫は太宰治のことを嫌っていたというが、同属嫌悪だと思う。
『仮面の告白』が書かれたのは昭和24年、これは『人間失格』のパロディだと僕は思っているのだが。
『人間失格』が書かれたのは確かその前年で、三島は太宰と昭和21年頃に会っている。意識はあった筈だし、歯痒さもあったと思う。演劇的な人生を先んじられたと三島が思っていたとしても不思議ではない。
(「盾の会」を演劇的だとする意見に僕は賛成しないが。あくまで、この頃の三島が演劇的だったと思うだけで)
三島も太宰もナルシスティックなのは確かだろう? 
太宰のその遣りかたを三島は卑屈だと思っていたんじゃないかしら。要は、手管が上手くない、と。自分ならもっと上手く出来る。そういう思いが三島にはあったと思う。自己とかエゴとかの問題というより、ポーズのつけ方の美学の問題だと。
太宰の文章は共感を捏造し、作家の位置を読むものと同じ位置まで引き摺り下ろす。
三島は毅然とし、その美しさを啓蒙する。

こうして文学についてとやかくいいはしても、結局、今日一日僕の頭のなかの多くを占めていたのは笑い飯であり、ラルク・アン・シエルなのだった。

ちょっと調べていて知ったのだけれど、笑い飯の哲夫は三島を読んでいるらしい。
なんかここ数日の頭のなかに雑然と転がっていたものが繋がった気がした。

余談だが、島田雅彦の『僕は模造人間』は、ある三島の作品のパロディなのだそうだ。
「『潮騒』ですか」と指摘を受けて、違います、と本人は否定していた。
島田雅彦自身が自分でいったこのことを覚えているかどうかも怪しいと思うのだけれど、僕は当時から『僕は模造人間』は『青の時代』のパロディだと思っている。
『青の時代』は資本を、お金を、「交換するためだけの代価」と定義づけしたことによる破滅を描いている(それも爽やかに。そこが皮肉でよい)のだが、『僕は模造人間』はお金を恋愛に置き換え、「交換するためだけの代価」としていると思っていたのだ。恋愛、もしくは自我。
誰もいわないし、『僕は模造人間』自体が書かれてもうずいぶん経つので碌な研究にはならないが、まあ、間違いないと独善的に納得している。それくらいの自己満足は、許されるだろ?
これも文学を読む愉しみだろ。 続きを読む

一致

あまり人にはいえない経緯で手に入れた三島由紀夫の短編集がある。貰ったのだ。
変形の単行本で箱入り・本体はほぼ全面、銀箔に覆われている。
探したらやっぱり出てきた、『剣』も収録されていた。

三島の短編はあまり好きではない。
なんだかキラキラし過ぎているというか、ケレン味が勝つというか。出来れば流れにたゆたうような作品の方が好みだな。
あるいは『美徳のよろめき』なんかがそうだけど、ポップな文体で語られる判りやすい筋書きのところどころに、とんでもなく精緻で皮肉な仕掛けが施されていたり、素晴らしく美しい修辞が埋め込まれているような作品が。
『よろめき』の冒頭を読み返してみて、ここで引いてみようかと思ったけれど、相当にエロかったので遠慮しておきます。

「AWAKE」、発売。
ポップなメロディの判りやすい楽曲のところどころに、とんでもなく精緻で歪な仕掛けが施されていたり、素晴らしく美しい歌詞とアレンジが埋め込まれていたりして心地よかった。ジャケットの文字が特にそうなんだけど、なんかthe Cureっぽいぞ。
まあ多分それは偶々で、本当にthe Cureを意識しているとか引用しているとかではなく、そういう違和感のあるデザインワークがいまのひとつの流れとしてあるんだろうな。
でもロバート・スミスの声がもつ艶っぽさと、hydeの声のから受ける印象は似ているかもな。
これもかつての衒学の友人で、「キミの音楽の趣味はゴージャスだよな」といったヤツなんだけど、彼にいわせると僕はやや少年っぽさの残るヴォーカルが好きなんだそうだ。かも。
そうそう、そのワケありで僕の手元にある三島の短編集とこれも偶然の一致なのだが、「AWAKE」のジャケットも銀箔を貼ったみたいな印象なのだ。

しかし今日一日、頭のなかでいちばん多くを占めていたのは三島でもラルクでもない。
笑い飯のことを、ずっと考えていた。
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