1953年のニューイングランド。とある名門女子大学に1人の女性が美術史の教員としてやって来る、名前はキャサリン・ワトソン。自立と進歩を学生たちに教えんとする彼女に生徒たちの反応はさまざまだ。
学生の多くは、養った知性を、教育を活用することなく結婚していく。そのためには自分の描いた未来図を破棄することを不思議とも思わない。みんながみんな、未来に対して意欲的でないわけではない。羨ましがられながら恵まれた結婚をしたように見えて、幸福になるわけではない。
習慣に抗うもの、一歩踏み出そうとするもの。結婚するもの、自分の容姿に自覚的であり多くを望もうとはしないもの、そして性的魅力を行使した関係に何かを見出そうとするもの。みんな魅力的だ。
ジュリア・ロバーツ嫌いの僕でも、ワトソン先生を素敵に思う。
(マギー・ギレンボールがめちゃめちゃいい。『セクレタリー』は全く魅力的ではなかった)
ジャクソン・ポロックの場面は、美術史中の彼の位置を知ってると泣ける。
(思っていたより彼って古い時代に生きてたのだな、という驚きはある。彼の前衛ぶりはより輝くが)
見終わって、これハッピーエンドじゃないよね、というと不思議な顔をされた。
勧めてくれた人は、そうは受け取ってないみたい。これからみんな一歩踏み出す、そういうポジティヴな映画なんだと。なるほど、僕は一歩踏み出すための、破瓜の痛みを描いた映画なのではないかと思った。旧弊なものと対峙して、誰もが傷ついた映画なんだと。
結末に対するこの感想は、あちらこちらの感想を読んでいる限りはマイノリティというか、この映画を悲劇的な映画だというふうに捉えているのはどうやら僕ひとりだけらしい。
まあ、映画の見方は誤読O.K!ひとそれぞれだしな。
高い知性を大切にしなければならない、と思わせるシーンがある。
詳しくは書かないけれども。村上龍の『半島を出よ』のなかに「連中はめちゃめちゃ強いが良識がないから滅びるだろう」という場面があって、それを思い出した。
いい教育を受けなければ良識は育たないというのか、それは能動的でないと獲得できないというのか、もとから持っている知性のポテンシャルの問題なのか、いや知性ではなく育てられた環境で得る常識だったり他人への配慮や機微のことを指しているのか。
解釈の仕方は何通りもあるが、正解はひとつしかないと思う。考える、ということでもいい。その考える際のある心構えみたいなもの、ルールみたいなものが自覚的に必要なんだということだと、僕は思っているのだけれど。
学習するということは、自分のエゴをひけらかすことでも、他人を不愉快にするという目的をもつものでもない。いろいろ知るなかで、人間として進歩する部分があるのだと思っている。そしてそれは背伸びや相対比較や見栄を最も嫌うと思うんだけど。
学生の多くは、養った知性を、教育を活用することなく結婚していく。そのためには自分の描いた未来図を破棄することを不思議とも思わない。みんながみんな、未来に対して意欲的でないわけではない。羨ましがられながら恵まれた結婚をしたように見えて、幸福になるわけではない。
習慣に抗うもの、一歩踏み出そうとするもの。結婚するもの、自分の容姿に自覚的であり多くを望もうとはしないもの、そして性的魅力を行使した関係に何かを見出そうとするもの。みんな魅力的だ。
ジュリア・ロバーツ嫌いの僕でも、ワトソン先生を素敵に思う。
(マギー・ギレンボールがめちゃめちゃいい。『セクレタリー』は全く魅力的ではなかった)
ジャクソン・ポロックの場面は、美術史中の彼の位置を知ってると泣ける。
(思っていたより彼って古い時代に生きてたのだな、という驚きはある。彼の前衛ぶりはより輝くが)
見終わって、これハッピーエンドじゃないよね、というと不思議な顔をされた。
勧めてくれた人は、そうは受け取ってないみたい。これからみんな一歩踏み出す、そういうポジティヴな映画なんだと。なるほど、僕は一歩踏み出すための、破瓜の痛みを描いた映画なのではないかと思った。旧弊なものと対峙して、誰もが傷ついた映画なんだと。
結末に対するこの感想は、あちらこちらの感想を読んでいる限りはマイノリティというか、この映画を悲劇的な映画だというふうに捉えているのはどうやら僕ひとりだけらしい。
まあ、映画の見方は誤読O.K!ひとそれぞれだしな。
高い知性を大切にしなければならない、と思わせるシーンがある。
詳しくは書かないけれども。村上龍の『半島を出よ』のなかに「連中はめちゃめちゃ強いが良識がないから滅びるだろう」という場面があって、それを思い出した。
いい教育を受けなければ良識は育たないというのか、それは能動的でないと獲得できないというのか、もとから持っている知性のポテンシャルの問題なのか、いや知性ではなく育てられた環境で得る常識だったり他人への配慮や機微のことを指しているのか。
解釈の仕方は何通りもあるが、正解はひとつしかないと思う。考える、ということでもいい。その考える際のある心構えみたいなもの、ルールみたいなものが自覚的に必要なんだということだと、僕は思っているのだけれど。
学習するということは、自分のエゴをひけらかすことでも、他人を不愉快にするという目的をもつものでもない。いろいろ知るなかで、人間として進歩する部分があるのだと思っている。そしてそれは背伸びや相対比較や見栄を最も嫌うと思うんだけど。