『QED』という夢のようなサイトがかつてあった。まずお題が出る、そのお題にあわせてミステリーを書く。その翌週には解答編が発表されるので、その発表までの1週間に、閲覧者はあれこれ推理し、それを書き込み競うというもの。
ミステリー好きにはたまらない。とても知的なゲーム、ライブ感もあった。実際に、バーで朗読してそれをお客さん同士で推理しあう「生QED」というイベントもやっていた。
× × ×
「死体はどこへ消えたか」 abiko masahiro
□問題編
その後でけだるさが体のなかに残るのはいつものことだ。
ペンションの食糧庫だった。真上から見るとその部屋はL字型になっていて、所狭しと食材やさまざまなボトルやを置いた棚が幾重にも並べられている。部屋の性質上、半地下に造られていて天井すれすれのところに小さな横長の窓があった。窓のすぐ外は地面で、建物の外側から見れば窓は建物の床すれすれにあるということになる。食糧庫には出入り出来るドアが二つあった。南側のドアと西側のドア、青木はけだるさを体のなかに抱えたまま南側のドアから廊下へと出た。こんなところを見られてはまずい、ペンションの雇われオーナーというこの仕事が青木は気にいっていた。まさか、と思う。発覚すればこの仕事を追われるかも知れない。食糧庫を出る際、青木は一度、暗い室内を振り返って見た。窓から弱々しく陽光が差し込んでいる。棚の影が、埃の積もった床に整然と並んで落ちている。しんとしていた。先刻、誰かが入ってきたような気がしたのだが、……小さく悲鳴のような声が聞こえたように思ったが。青木は首を振る。いや、そんなわけがない。西側のドアは青木が立っている南側のドアのところからは見えなかった。誰かが入ってきたのだろうか。一歩そちらへむかって踏み出しかけて、やめた。そのまま食糧庫を出て、廊下の階段からキッチンへと上がっていった。
ロビーから宿泊客の白川が走って来るのと出くわした。
「青木さん!」
ただごとではない様子だ。外から走ってきたらしく、息が上がっている。顔が紅潮している。
「どうしました?」
青木は冷静を装って訊ねた。
「ひ、人が」白川が切れ切れにいう。「女の人が死んでます」
「どこで?」
嫌な予感が背中を走る。女が死んでる、という白川の言葉をすぐに本気で受け取ったわけではない。
予感はじわりと迫ってきた。
「し、食糧庫で」
青木はサッと体中から血の気が引いていくのを感じた。
「食糧庫?」
「ええ、外を散歩してたら、窓から見えたんです。地下の食糧庫で女の人が、目を見開いて倒れているのが」
「まさか」
ミステリー好きにはたまらない。とても知的なゲーム、ライブ感もあった。実際に、バーで朗読してそれをお客さん同士で推理しあう「生QED」というイベントもやっていた。
× × ×
「死体はどこへ消えたか」 abiko masahiro
□問題編
その後でけだるさが体のなかに残るのはいつものことだ。
ペンションの食糧庫だった。真上から見るとその部屋はL字型になっていて、所狭しと食材やさまざまなボトルやを置いた棚が幾重にも並べられている。部屋の性質上、半地下に造られていて天井すれすれのところに小さな横長の窓があった。窓のすぐ外は地面で、建物の外側から見れば窓は建物の床すれすれにあるということになる。食糧庫には出入り出来るドアが二つあった。南側のドアと西側のドア、青木はけだるさを体のなかに抱えたまま南側のドアから廊下へと出た。こんなところを見られてはまずい、ペンションの雇われオーナーというこの仕事が青木は気にいっていた。まさか、と思う。発覚すればこの仕事を追われるかも知れない。食糧庫を出る際、青木は一度、暗い室内を振り返って見た。窓から弱々しく陽光が差し込んでいる。棚の影が、埃の積もった床に整然と並んで落ちている。しんとしていた。先刻、誰かが入ってきたような気がしたのだが、……小さく悲鳴のような声が聞こえたように思ったが。青木は首を振る。いや、そんなわけがない。西側のドアは青木が立っている南側のドアのところからは見えなかった。誰かが入ってきたのだろうか。一歩そちらへむかって踏み出しかけて、やめた。そのまま食糧庫を出て、廊下の階段からキッチンへと上がっていった。
ロビーから宿泊客の白川が走って来るのと出くわした。
「青木さん!」
ただごとではない様子だ。外から走ってきたらしく、息が上がっている。顔が紅潮している。
「どうしました?」
青木は冷静を装って訊ねた。
「ひ、人が」白川が切れ切れにいう。「女の人が死んでます」
「どこで?」
嫌な予感が背中を走る。女が死んでる、という白川の言葉をすぐに本気で受け取ったわけではない。
予感はじわりと迫ってきた。
「し、食糧庫で」
青木はサッと体中から血の気が引いていくのを感じた。
「食糧庫?」
「ええ、外を散歩してたら、窓から見えたんです。地下の食糧庫で女の人が、目を見開いて倒れているのが」
「まさか」
とにかく、という白川に引っ張られて青木は食糧庫にむかった。白川は外の窓から食糧庫のなかを見たといった。まさか、自分も見られたのではないか、とふと思う。いや、白川が自分を見たとしたなら、女の人が死んでいるなどといって自分をそこへ連れて行こうとはしない筈だ、と考え動揺を押さえる。青木と白川の二人は、南側のドアから食糧庫へ降りていった。死体なんかなかった、と青木はひとり考えている。それとも、あのとき見えなかった西側のドア付近にそれはあったのだろうか。
食糧庫に入ると白川の腰が引けていた。本気で見たのだ、と思った。
「どこです」
と青木。
「あの棚のむこう辺りだと思うんですが」
白川が指したのは西側のドアに程近い辺りだった。先刻、自分が確かめようとして確かめなかったところだと青木は思った。もしかしたらあのとき感じたのは虫の知らせのようなものだったのだろうか。
棚のむこうに回り込んだ。
何もなかった。
青木の背中越しに白川が覗き込み、あれ、と首を捻る。おかしいな、先刻はこの辺りに倒れていたんだ、といいながら白川は苦い顔をして見せた。
「何もないですよ」
といいながら床を見下ろした青木は、どきりとした。床の埃が不自然な形で乱れていた。白川はそれに気づいていない風だ。さりげなく観察して、それが人の倒れたような形だと青木は気づいた。それが死体だったかどうかはまだ判らないが、白川がこの床の上で何かを、人の形をしたものが倒れているのを見たのはどうやら確からしい。しかし青木は黙っていた。
「おかしいなあ」といっている白川を、こっちの様子も見てみましょう、と促し西側のドアから外へ出る。こちらはすぐに短い階段があり、広間に出る。広間には、黒坂詩織がいた。一昨日からの宿泊客。ソファに座っている。その様子が落ち着きない。嫌な予感がまた青木の背中にべたりと貼りつく。
「どうしました?」
青木が声をかけると、詩織は、青木さん! とソファから立ち上がった。
「探してたんです」
「何か?」
「それが、……」
と、いいよどむ。何か他人に聞かれると気まずい話だろうか。とりあえず白川を詩織に紹介する。
「こちらは独りで旅行中の白川さん、こちらは黒坂詩織さん、女性二人で旅行中。お連れさんは赤坂恵子さん、……あれ、恵子さんは?」
それが、と詩織はいった。彼女が困っているのはどうやら恵子に絡むことらしかった。白川が気を利かせて、ちょっとむこうを見てきます、とその場を外れようとしたが、詩織は、いえ、いいんです! と引き留めた。
「それより一緒にいてください。なんだか気味が悪くて」
「何ですか」と青木が詩織を促す。
「それが、恵子が見たというんですが、食糧庫で人が死んでるって」
「え?」
青木はまたも背中から冷水を浴びせられたような気になった。白川が、ほら、という顔をして青木を見た。しかしその顔は少しもうれしそうな顔ではない。誰かが死んでいただなんて自分の見間違いであればよかった、そう思っていたようだった。
「詳しく話してください」
「先刻、部屋にいたら、恵子が戻ってきて、食糧庫で誰か死んでるっていうんです。最初は冗談だと思ったんですけど、あまりに真剣なんで、ええ、ちょっとあの子、変わったところがあるので。でも一緒に行ってみたんです。でも誰も何もいませんでした。なのにあの子ったら、確かにここで死んでたの、といって聞かなくて」
「僕も見た」白川が口を挟んだ。詩織の顔が、えっといって強ばった。
「僕も見たんです。食糧庫で人が死んでるのを。恵子さんがいってたのは事実です」
「そんな、……」
「で、恵子さんは」と青木は訊ねた。
「それが。ここに戻ってきても、彼女は『いや、絶対あれは死体だった』といいはって、探してくるといってひとりでどこかへ。ヒステリーを起こしたんだと思うんですが」
青木さん、と白川に促され青木は頭を抱えた。二人が死体を見たという、あの食糧庫で。まさか。しかし肝心なことに青木だけは気づいている。白川はその死体が女だといったが、女性の宿泊客は詩織と恵子以外にいないのだ。
「他に宿泊客は?」と詩織が訊く。
「二階にお一方だけです。箱崎さんって男性ですが」
その人にも相談しよう、ということになり、三人は二階に上がった。詩織は恵子の行方をしきりに心配していたが、とにかくその箱崎という若い男と会ってから、よければ協力してもらって探そうということになった。
箱崎は不意に現れた訪問者たちに嫌な顔ひとつすることなく、話に乗ってくれた。
「では、こういうことですね」と箱崎。
「まず白川さんが窓の外から食糧庫を見られた。そこに死体を、倒れている人影をまず見た。それが何時頃だったか覚えてますか」
2時10分頃だったと思います、と白川が答えるのを聞いて、青木はどきりとした。自分が食糧庫を出た時間がそれより後だったような気がしたからだ。自分がその頃、食糧庫にいたことを青木はまだ誰にも話していない。
「それで詩織さん」
「はい」
「あなたが恵子さんに呼ばれたのは」
「2時25分、部屋を出る前に時計を見たんです」
「それから食糧庫へ降りていったのが?」
「2時30分くらいかしら」
僕らも同じくらいでしたよね、と白川が青木に訊ねる。曖昧に青木は頷く。「わたしが広間に上がって5分も経ってなかったと思います。青木さんたちが階段を上がって来られたのは」
「とすると」
死体は誰だったんだ、そして誰がそれを運び出したのだ、……と青木がぼんやりと考えたとき、箱崎が「宿泊客には他に女性はいないんですよね」といった。と、
「え?」
声を上げたのは詩織だった。
「どうしました?」と白川が声をかける。詩織はその声が耳に入らない様子で、そんなことって、といって一歩、二歩と後ずさった。彼女が何かに気づき、そして表情を強ばらせていることは明らかだった。
(解答編につづく)
食糧庫に入ると白川の腰が引けていた。本気で見たのだ、と思った。
「どこです」
と青木。
「あの棚のむこう辺りだと思うんですが」
白川が指したのは西側のドアに程近い辺りだった。先刻、自分が確かめようとして確かめなかったところだと青木は思った。もしかしたらあのとき感じたのは虫の知らせのようなものだったのだろうか。
棚のむこうに回り込んだ。
何もなかった。
青木の背中越しに白川が覗き込み、あれ、と首を捻る。おかしいな、先刻はこの辺りに倒れていたんだ、といいながら白川は苦い顔をして見せた。
「何もないですよ」
といいながら床を見下ろした青木は、どきりとした。床の埃が不自然な形で乱れていた。白川はそれに気づいていない風だ。さりげなく観察して、それが人の倒れたような形だと青木は気づいた。それが死体だったかどうかはまだ判らないが、白川がこの床の上で何かを、人の形をしたものが倒れているのを見たのはどうやら確からしい。しかし青木は黙っていた。
「おかしいなあ」といっている白川を、こっちの様子も見てみましょう、と促し西側のドアから外へ出る。こちらはすぐに短い階段があり、広間に出る。広間には、黒坂詩織がいた。一昨日からの宿泊客。ソファに座っている。その様子が落ち着きない。嫌な予感がまた青木の背中にべたりと貼りつく。
「どうしました?」
青木が声をかけると、詩織は、青木さん! とソファから立ち上がった。
「探してたんです」
「何か?」
「それが、……」
と、いいよどむ。何か他人に聞かれると気まずい話だろうか。とりあえず白川を詩織に紹介する。
「こちらは独りで旅行中の白川さん、こちらは黒坂詩織さん、女性二人で旅行中。お連れさんは赤坂恵子さん、……あれ、恵子さんは?」
それが、と詩織はいった。彼女が困っているのはどうやら恵子に絡むことらしかった。白川が気を利かせて、ちょっとむこうを見てきます、とその場を外れようとしたが、詩織は、いえ、いいんです! と引き留めた。
「それより一緒にいてください。なんだか気味が悪くて」
「何ですか」と青木が詩織を促す。
「それが、恵子が見たというんですが、食糧庫で人が死んでるって」
「え?」
青木はまたも背中から冷水を浴びせられたような気になった。白川が、ほら、という顔をして青木を見た。しかしその顔は少しもうれしそうな顔ではない。誰かが死んでいただなんて自分の見間違いであればよかった、そう思っていたようだった。
「詳しく話してください」
「先刻、部屋にいたら、恵子が戻ってきて、食糧庫で誰か死んでるっていうんです。最初は冗談だと思ったんですけど、あまりに真剣なんで、ええ、ちょっとあの子、変わったところがあるので。でも一緒に行ってみたんです。でも誰も何もいませんでした。なのにあの子ったら、確かにここで死んでたの、といって聞かなくて」
「僕も見た」白川が口を挟んだ。詩織の顔が、えっといって強ばった。
「僕も見たんです。食糧庫で人が死んでるのを。恵子さんがいってたのは事実です」
「そんな、……」
「で、恵子さんは」と青木は訊ねた。
「それが。ここに戻ってきても、彼女は『いや、絶対あれは死体だった』といいはって、探してくるといってひとりでどこかへ。ヒステリーを起こしたんだと思うんですが」
青木さん、と白川に促され青木は頭を抱えた。二人が死体を見たという、あの食糧庫で。まさか。しかし肝心なことに青木だけは気づいている。白川はその死体が女だといったが、女性の宿泊客は詩織と恵子以外にいないのだ。
「他に宿泊客は?」と詩織が訊く。
「二階にお一方だけです。箱崎さんって男性ですが」
その人にも相談しよう、ということになり、三人は二階に上がった。詩織は恵子の行方をしきりに心配していたが、とにかくその箱崎という若い男と会ってから、よければ協力してもらって探そうということになった。
箱崎は不意に現れた訪問者たちに嫌な顔ひとつすることなく、話に乗ってくれた。
「では、こういうことですね」と箱崎。
「まず白川さんが窓の外から食糧庫を見られた。そこに死体を、倒れている人影をまず見た。それが何時頃だったか覚えてますか」
2時10分頃だったと思います、と白川が答えるのを聞いて、青木はどきりとした。自分が食糧庫を出た時間がそれより後だったような気がしたからだ。自分がその頃、食糧庫にいたことを青木はまだ誰にも話していない。
「それで詩織さん」
「はい」
「あなたが恵子さんに呼ばれたのは」
「2時25分、部屋を出る前に時計を見たんです」
「それから食糧庫へ降りていったのが?」
「2時30分くらいかしら」
僕らも同じくらいでしたよね、と白川が青木に訊ねる。曖昧に青木は頷く。「わたしが広間に上がって5分も経ってなかったと思います。青木さんたちが階段を上がって来られたのは」
「とすると」
死体は誰だったんだ、そして誰がそれを運び出したのだ、……と青木がぼんやりと考えたとき、箱崎が「宿泊客には他に女性はいないんですよね」といった。と、
「え?」
声を上げたのは詩織だった。
「どうしました?」と白川が声をかける。詩織はその声が耳に入らない様子で、そんなことって、といって一歩、二歩と後ずさった。彼女が何かに気づき、そして表情を強ばらせていることは明らかだった。
(解答編につづく)